リヤカーマン永瀬忠志は、なんと地球1周以上の距離を歩いたよ

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今まで多くのクレイジーな人を排出してきたクレイジージャーニー

今回紹介する男はその中でも上位レベルにクレイジーだといえる。
そう、それがリヤカーマン永瀬忠志さん

永瀬忠志さんは植村直己賞を受賞したすごい冒険家。

クレイジージャーニーに出た永瀬忠志さんとはどんな人なのか?
永瀬忠志さんはなぜリヤカーを引いているのか?
永瀬忠志さんの今までの旅で印象に残っている旅は?

その辺り紹介します!!

Contents


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クレイジージャーニーに出演した永瀬忠志とは?

見た目は正直普通のおじさんでオーラはあまりないとクレイジージャーニーのMC陣にオーラがないと突っ込まれるくらいオーラがない。
それもそのはず、普段はお金を稼がなければならないので高校で溶接の講師をしているとか。
つまり、お金が貯まったらまた旅に出るということを続けているのだ。

全ては「リヤカーの為に」

本人曰く、高校講師はあくまで仮の姿で、リヤカーを引いている時が本当の自分だとクレイジージャーニーでは断言している。
あくまで、「リヤカーマン」なのだ。

永瀬忠志さんの経歴

2005年 上村直己冒険賞を受賞
(偉業を成し遂げた世界でも一握りの冒険家にしか与えられない賞)
本人曰く、「特別なことは何一つない、ただひたすらリヤカーを引いて地球上を歩くだけ。」
なので一見地味な旅人と思われる。
当初はベビーカーやショッピングカーを押していたが、もっと多くの荷物を持っていきたいと思った時にふと、”リヤカーっていいな”と思った。

そして着々とリヤカー旅を増やしていき、

1975年 日本列島徒歩縦断を達成。
総距離なんと70日間で3,200km!
1978年 オーストラリア大陸徒歩縦断を達成。
総距離100日で4,200!!
1989年 アフリカ大陸横断+サハラ砂漠横断を達成。
総距離375日間で11,100!!!
2015年 アメリカデスバレー徒歩縦断達成

リヤカー人生を振り返ってみると、41年間の総距離は4万7千Km以上!!!
つまり地球一周以上なのである、これはクレイジー!

そんな彼を世間はこう呼ぶ、「リヤカーマン」と。

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永瀬忠志さんの旅中

永瀬忠志さんの気持ち

旅をさぞかし楽しんでいるのかと思いきや、「何でこんなこと始めたんだろう」「?なんでこうなったんだろう?」と実はネガティブなことを考えていることが多いようだ。
何か考えてないと時間が経つのが遅いから、なるべく何か考えながら歩くという。
それでも全く時間が経たないという。。
朝目覚めると毎日、「これからまた一日が始まるのか」と憂うつになるとか(笑)
「やめればええやん」と松本さんがすかさず突っ込む。
こんなに苦労しているのに、19歳でリヤカーを始めてしまったからもう辞められないとか。

永瀬忠志さんの旅のポイント

己の肉体と地図を頼りに歩き続ける。

時に砂漠、時に山道、時に泥道を通って・・・。
朝8時−18時まで歩きその他はご飯や睡眠の時間に当てる。

リヤカーには何が積んであるの?

一番重いのは水・食料。
特に水は料理と飲料用で1日8L使用する計算で用意している。
その他にはテント、寝袋、懐中電灯、コンロ、鍋、衣類、履物、リヤカーの修理用具・交換部品など、合計すると総重量はなんと200 kg 以上!!!

200 kg ??

クレイジーすぎる。
200 kgを引きながら毎日約40km進むという。

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永瀬忠志さんは何故リヤカーを引いているの?

「皆に何かを伝えられたら嬉しい」とクレイジージャーニーでは発言している。
その次に考えていることは、次回リヤカーを引く資金が溜まればいいと思っている。
リヤカーを引くためにリヤカーを引く、クレイジー。
ただ、正直なぜリヤカーを引くのか自分でも分からないとクレイジージャーニーでは発言している。

リヤカーを引いてて辛い時

上り坂と下り坂

何しろ200 kgのリヤカーだ、坂では一気に負荷が大きくなる。

ぬかるみ

車輪がはまらないように細心の周囲を払って進むという。
もしはまってしまったら、リヤカーの荷物を全て降ろしてリヤカーだけ進める。
これがそうとうきつい。

砂漠

これが一番過酷。
地面が軟らかすぎて進まないので、車輪に短い気の板をかまして進んでは載せるを繰りかえる。
こんな地味な作業なので時間も非常にかかる、なんと200 m進むのに40分掛かったとの事
それだけではなく、突然の砂嵐やスコールに見舞われることも。
とにかく過酷なのだ。

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リヤカー旅のこだわり

映像撮影

永瀬忠志さんのすごい所は全て旅中の映像を自分で撮影していること。
道を通り過ぎる映像を取ったと思えば、カメラを回収しに戻るという感じのスタイル。

・同じ場面でもアングルを変える。
・休憩してる時も撮影する
・悪路で苦労してても撮影は忘れない。

この様に苦労して溜めた映像だが、どう活用しているのか?
実は溜めた映像を今までに見返したことはないとクレイジージャーニーでは発言していますw

詩を口ずさむ

調子が良い時は大自然に向かって思いついたことを言葉にする。

現地の人と交流する

積極的に現地人と話したり、仕事を手伝ったりして交流し、仲良くなるのが醍醐味。

リヤカー旅の恐怖

旅中永瀬忠志さんをもっとも震え上がらせた動物が”オンサ”である。
永瀬忠志さんの日記を読むと頻繁に、”オンサがいるという”、この先オンサがいるという”、”こんな装備ではやられる”などとにかく”オンサ”に怯えている様子が描かれている。
そんなオンサとは「ジャガー」のこと。
驚きの永瀬忠志さんのジャガー対策は、なんと木の棒。

ドラクエか!w

その棒だけで立ち向かおうとしていたとか・・・クレイジー
結局ジャガーとは出会わなかったようだが、何よりである。

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永瀬忠志さんの忘れられないリヤカー旅

それは1989年、2度目のアフリカ大陸縦断の時。
総距離6,700 kmの旅で182日かかった。
東西に縦断したのに満足せず、なんとそのままフランスへ向かい始める。
そしてなんと総距離11,100を1年かけて旅してしまった。

というのも、1982年、第一回目の旅の途中に事件は起きました。
出発して216日にリヤカーごと荷物を全部盗まれます。
その瞬間に旅を断念して帰国したそうです。
しかしその時の永瀬忠志さんの心境は、

「やったー!明日から歩かなくていいんだ!」

だったそうですw

しかし、帰国すると悔しさが込み上げてきて、7年後に2回目の旅に出たということです。

永瀬忠志さんの現在の活動

永瀬忠志さんの原点である日本列島横断を41年ぶりに再決行、当時泊めてくれた人たちに会いに行きお礼をしに歩き回っているとのこと。
既に亡くなっている方も多いが、当時の写真を見せるとその娘・息子が当時の親の写真をみて喜んでくれるという。
リヤカーマンが時代を超えて思い出を運んできてくれるわけです。

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永瀬忠志さんの今後

「歩けなくなるその時まで歩いていきたい。」

まとめ

リヤカーマン永瀬忠志さんは歩くことでしか得られない辛さや出会いを通して時代を超えて感動を運ぶクレイジーな人だった。
クレイジージャーニーにふさわしいクレイジーな人ですが、今後もクレイジーな旅に期待しましょう。
またクレイジージャーニーに出演するのをお待ちしています。

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